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​大人の責務

​ 私たち塾講師は、お預かりする生徒さんの分からないところを少しでも分かるように、できないところを少しでもできるようにすることを仕事としています。当然、元々勉強が得意な生徒さんもいれば、そうでない生徒さんもいます。そして元々勉強が得意な生徒さんはさらに得意になるように、そうでない生徒さんは少しでも苦手でなくなるように、塾講師は自らの指導技術はもちろんのこと、指導姿勢についても日々反省しながら、理想に向かって常に磨きをかけ改善を図っていくわけです。

 ただこのとき気を付けなければいけないことは、ともすると塾講師も生徒さんもともに点数の上下ばかりにとらわれ、そのことに一喜一憂してしまうことです。点数というのは当然、その時々の問題の範囲・レベルはもちろんのこと、試験当日の生徒さんのコンディションにも左右されます。そうしますと、ろくに勉強していないにも関わらず点数が上がることもあれば、逆に一生懸命勉強しているにも関わらず点数が下がる、などということも頻繁に起こるわけです。こうしたことを考えれば、ただ点数が上がったという事実だけをとらえてあぐらをかいてしまうような事態や、逆に点数が下がったという事実だけをとらえてそれまでの努力を無駄なものとしていたずらに落ち込むような事態にならないよう、塾講師は生徒さん一人一人のことを注意深くみていき指導していかなければいけないわけです。

 ところが実際は、点数の上下に一喜一憂するどころか、そのことばかりに血眼になってしまう間違いを犯してしまうことが往々にして起こりがちです。もっとも、仮に自分の点数を上げること以外は何も見えなくなってしまい、他人へのやさしさや思いやりをもつ余裕がなかったとして、難しいのはそうした状況をなかなか一概に非難できないところです。試験・受験という性質を考えたとき、どうしてもそこには競争という側面が付きまといますし、これは何も子どもだけでなく、職種にもよりますがむしろ大人の社会の方がより露骨と言っていいかもしれません。

 しかしながら最も気をつけなければいけないことは、こうした競争という性質を含めた点数至上主義によって、そこで測れない子どもの良さを見落としてしまうことではないでしょうか。塾講師はもちろんのこと、生徒さんも親御様もそして学校の教員の方も、点数に表れない生徒さんの良さに気づくことは、実は結構至難の業といっていいのかもしれません。子どもの本分は学業、というのは確かに一つの真実ではありますが、同時にまたそれ以外のことを軽視してしまうことを、実は私たち大人は頻繁に行っているのではないでしょうか。次のテストで何点以上とれるように。勉強しなさい。宿題やりなさい。これらは塾講師に限らず、子どもに接する多くの大人が頻繁に発している言葉です。ただ当然ながら、こうしたことに血眼になってしまいますと、どうしてもそれ以外のこと、勉強以外のことにはなかなか目がいきづらくなってしまいがちです。

 いわゆる「学力の3要素」というのをご存知でしょうか。高大接続システム改革会議答申によれば、学力の3要素とはコンパクトにまとめますと、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性・多様性・協働性」とされています。そしてこれらを従来の学力テストで測ることは難しいとされているからこそ、改革に向けて多くの方々が日々模索し営利努力されているわけです。先に挙げました、単純な点数の上下への着目だけではこれらを測ることは確かに難しいと言えるでしょう。知識・技能はまだしも、思考力・判断力・表現力となるとかなり難しくなってきますし、主体性・多様性・協働性となりますとどのようにそれらを測ればいいのか、皆目見当がつかなくなっても無理もないのかもしれません。もはや、これらをいわゆるテストだけで測ろうとすること自体到底無理なことなのかもしれません。

 そうしますと、一体どのようにしてこれらを測るのか、誰が測るのか。いや、ひょっとしたらこれらは到底測ることなどできないのかもしれません。“測る”ものではなく、ただ“気づく”しかないのかもしれません。日々の学習の場面で、教員一人一人が、保護者の方が、そして塾講師一人一人が、生徒さん一人ひとりをしっかりと見守ること、そして気づいたことを本人にも気づかせること、これが子どもに接する大人の責務と言っていいのではないでしょうか。言い換えれば、テストで測れる以上のことを何も気づけないようであれば、何をみていたのか、何を教えていたのか、私たち大人は胸に手を当ててみなければいけないのかもしれません。むしろ大人の責務とは、子ども一人の力ではなかなか気づきづらいことを気づかせてあげ、眠っている才能を引き出すきっかけを与えること、これ以上でもこれ以下でもないように思います。塾講師を含め、直接教育に携わる大人にとって、これは最も難しく、だからこそ永遠に問い続けていかなければいけない課題なのかもしれません。しかしながらこのことは、教育に携わる者にとって最もやりがいのあることであるとともに、それが少しでもできたと思えた日には、これ以上の喜びはないといえるのかもしれません。

​夢の続き

受験生二人が無事、第一志望校に合格しました。合格おめでとう。

自分自身の力で勝ち取った合格、一つの目標を達成した立派な成果です。是非自分の誇りに、今後の自信にしてほしいと思います。そしてしばらくは、こうした自分の努力の成果・喜びを噛みしめて下さい。

そして4月からは、いよいよ目標としていた、念願だった高校生活が君たちを待っています。ひょっとしたら、期待・希望と不安・恐れの両方が君たちの脳裏に去来しているかもしれません。そんな高校生活をどのようなものにするかは、真っ白なキャンバスにどのような絵を描くかは君たちの自由です。そしてもちろんその先もまた、一つの、あるいは様々な夢や目標と向き合うことになるかと思いますが、一つの大きな関門を乗り越えた君たちには、それを自分の望むようなものにする力があると信じています。

君たちは、自分の夢や目標に向かってまだ歩き始めたばかりです。これからの長い人生において、様々な葛藤や悩みが生じるかもしれません。しかし必ずや、それを乗り越えていってほしいと思いますし、それを可能にするだけの力を十分にもっていることを知っています。

そしていつの日か、その夢の続きを是非聞かせてください。

そしてもし可能ならば、それをまた多くの人に語り継いでいって下さい。

自分の望む人生を、君の夢の実現を応援する塾として切に願います。

信じるということ​

このたび、受験生3人とも無事第一志望校に合格し卒業していきました。正直なところ、本当に大丈夫かなあという気持ちと、なんとかなる・大丈夫という気持ちが交錯する日々でした。

塾講師だけでなく、親御様含め私たち大人は、子どもたちを大切に思い信じれば信じるほど、不安や心配もまた募っていきがちです。どうしてもどこか足りないような、心細い側面が見えてきてしまうものです。

ただ私たち大人が思う以上に、さまざまな困難や関門に対して、子どもたちは自ら育ち、自ら乗り越え、自ら解決する力をもっています。大人からはなかなか見えない、気づかない強さをもっていることに、時に驚き感心したりすることがあります。つまるところ私たち大人に求められるのは、そんな大切な子どもたちをどこまで信じられるか、これに尽きるように思います。ところがそれがなかなか難しいのが現実ではないでしょうか。

​ピグマリオン効果、という言葉をご存知でしょうか。人間は期待された通りの結果を出す傾向がある、というものです。教師・講師などの大人が児童・生徒・学生などの子どもに対して、肯定的な期待・態度でもって接すれば肯定的な結果を、否定的な予想・態度でもって接すれば否定的な結果を招く、といった、教育に携わる全ての人にとって常に考えさせられ、わが身を振り返らせられる知見の一つです。

子どもたちそれぞれその子のもつ能力は多様とは言え、学校や塾でテストの点数・成績として一元的な尺度で評価しなければならない側面がある以上、どうしても子どもたちそれぞれに学習速度や結果に差が出てきてしまうのはやむを得ないことです。ただそれをもって教える側の大人は、子どものもつ能力や伸びる力・可能性について、それを固定的にみてしまい評価してしまってはいないか、胸に手を当ててみなければいけないのかもしれません。

 

「どうせ」「こんなもんだよ」......これら自分を卑下するような言葉を子どもたちが発するとしたら、「やればできる」「頑張れ」とただやみくもにモチベーションを上げようと励まし続ける前に、やるべきことがあるように思います。子どもたち各々が抱えている心情や背景をつぶさにみること、そして自らの子どもたちに対する期待や思い、まなざし、態度、発言、行動を常に振り返ること。教え育てる者として私たち大人は、子どもたちを十分に信じる前に、自らの狭い価値観で決めつけ安易に評価してしまっていないかどうか。もし子どもたちが自分のことを見くびりあきらめてしまうとしたら、それはひとえに私たち大人の態度がそうさせているのであり、子どもたちのことをしっかりと信じきれていないからではないでしょうか。

 

子どもたちの可能性をどこまでも信じぬくということは、実は思っている以上に難しいことなのかもしれません。しかしそのことは裏返せば、それができれば子供たちは私たち大人が何もしなくても、自ら勝手に育っていく、と言えるのかもしれません。「どうせ」「私なんか」「できるかも」「本当はできるはず」「やればできる」......私たち大人は、子どもたちにどんな信念を育てることができるでしょうか。そのために私たち大人は、子どもたちをどこまでも信じることができるでしょうか。

コーチングによる自立型個別指導塾

​ わくわく未来塾チャレンジ

​ 入間市豊岡1-3-7 菊岡ビル201

​04-2941-6869

​指導科目:英語・数学(算数)・国語

口うるさい親にならないために
~イライラよさようなら~

ご自分のお子さんに対して、皆さんどのようなお声がけをされていらっしゃるでしょうか。

「勉強しなさい」
「何度言えば分かるの」
「早くしなさい」

私たち大人は、子どもの足りていない点、できていない点が気になり、口うるさくなりがちです。
特に、子どもに期待をかければかけるほどその傾向が強くなってしまうように思います。

それだけならまだいいのですが、いつまでたっても行動しない、変わらないその姿にどうしてもイライラしがちです。
特に子どもに対する愛情が深ければ深いほど、その傾向が強いように思われます。

そのような場合、一度少しばかり子どもとの距離をとってみてはいかがでしょうか。

考えてみれば、他人の子どもに対してはもう少し寛容であることが多いことに気付きます。
そこには、子どもとの距離感の差、ワンクッションあるかないの有無があるように思われます。

いってみれば、余裕があるのです。
俯瞰し、冷静にみつめることができるのです。
岡目八目、とはまさによく言ったものです。
子どもに意識を向けすぎてしまい、どうも密着しすぎてしまう、入りこんでしまうと、私たち大人は子どもに対して冷静にみれなくなってしまうようです。

そんな時こそ、突き放してみる勇気、関心をもちつつも、自分とはまるで違う人格をもった一人の人間として尊重する意識が大切になってきます。
場合によっては、少し笑い飛ばすぐらいの方が丁度いいのかもしれません。
「こいつは...」
「そうきたか...」
ここまでくると、もはやそうした状況を楽しみ、遊び・ゆとりをもっている自分に気付くかもしれません。
子どものことが心配でたまらない時ほど、そうした状況を笑い飛ばし、ゆとりをもつ気持ちが大切なように思います。

子育てはなかなか思い通りにならないことの連続かと思います。
しかしそんな時ほど、子どもとの距離をとり、ユーモアをもって子どもをみつめることが、ゆとり・余裕をもった子育てをするコツなのかもしれません。

大変な親業だからこそ、ご自分をいたわるためにも、子どもと少しばかり距離をとった接し方をしてみませんか。

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